遼上京遺跡、宮城の位置が明らかに

ソース:新華社作者: 2023-06-15 13:39

10日、空から見た遼上京遺跡。(小型無人機から、赤峰=新華社配信)

 中国内モンゴル自治区赤峰市巴林(バイリン)左旗でこのほど開かれた第1回遼上京文化フォーラムで、専門家らが遼王朝(907~1125年)の都城跡、遼上京遺跡の発掘調査で得られた一連の成果を発表した。

 遼上京考古学チームを率いる中国社会科学院考古研究所の董新林(とう・しんりん)研究員によると、チームは2011年から実施してきた探査や試掘調査、発掘で今回初めて遼上京の宮城の位置と規模を確認した。宮城は皇城の中央部東寄りに位置し、平面はほぼ正方形。東西と南に1カ所ずつの門があるが、北門は現時点で見つかっていない。四方を囲む城壁の一部で実施した試掘と調査で宮城城壁の建築方法や形状、構造、年代などもおおむね判明したという。

 皇城東門と宮城東門、宮城内の東向き大型建築物、それらを貫く東西方向の道路跡が東西軸の配置を示していることも確認できた。皇城東門と宮城東門が一つの城門に通り道を三つ設けた「一門三道」形状であるのに対し、皇城西門と宮城西門、南門はいずれも単門道で、宮城東門外の道路幅も南門外の少なくとも2倍あることから、遼上京にはかつて東を尊ぶ状況が存在していたも分かり、遺跡の平面配置と計画理念に関する研究を進展させた。

 出土した遺構や遺物から、皇城内の西山坡が仏教寺院遺跡であることも確認できた。重要な位置にあり、規模も大きいことから、遼上京のシンボル的建築物の一つだったと思われる。中央の大型塔基(土台)から多数出土した精緻で写実的な泥塑仏像は、国内外各分野の学者も注目しており、皇城の配置と沿革に対する認識を新たにする上で非常に重要な影響を持つとされている。

 遼上京遺跡は遼代、金代、元代初期という複数の時代の遺構が積み重なっており、これまでは遼代と金代の出土品の区別がつかないこともあったが、今回の調査と発掘では皇城内の元の地形や地層の堆積状況が把握でき、層序関係の明確な瓦当(がとう、筒瓦の先端部分)や磁器など一連の重要遺物を得ることもできた。遺物の年代序列の暫定的な確立は、遺跡年代を推定する基礎となり、遼上京の造営から繁栄、放棄に至る歴史的変遷に対する認識を効果的に深めることができる。

 遼上京遺跡はバイリン左旗林東鎮の南にあり、1961年に第1次全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)に指定された。契丹(きったん)族の建てた遼王朝は五つの都城(五京)を設けたが、上京は最初に造営され、最も長く使われた重要な都だった。

編集:董丽娜

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