「草も生えず鳥も降りず」西夏陵の神秘 西夏文化探訪

ソース:新華社作者: 2024-11-28 16:53

寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山東麓に広がる洪積扇状地のゴビ砂漠にたたずむ西夏皇帝陵の3号陵と陵塔。(10月10日、ドローンから、銀川=新華社記者/馮開華)

 中国寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山東麓に広がる洪積扇状地のゴビ砂漠に、大小さまざまな数百の塚がある。地元では「塚には草も生えず、鳥も降りない」と言われていたが、1970年代に始まった発掘調査で徐々に謎が明らかになった。

寧夏回族自治区銀川市にある西夏陵博物館。(10月10日、ドローンから、銀川=新華社記者/馮開華)

 中国の北方地域には11世紀から13世紀にかけてタングート族が建てた地方民族政権があり、宋の北西部に位置したことから「西夏」と呼ばれた。これらの塚は、西夏の九つの皇帝陵と271の陪葬墓の陵塔に当たる。整った建築遺構を持ち、多くの遺物が出土した西夏陵の発見は、西夏史を研究し、西夏文明の探求するための重要な鍵となった。

寧夏回族自治区銀川市の西夏皇帝陵3号陵と陵塔。西夏皇帝陵の配置は唐宋時代の様式を踏襲しつつも、陵塔建築が中軸線から外れているなどの違いがみられる。(10月10日、ドローンから、銀川=新華社記者/馮開華)

 西夏学の専門家、寧夏大学民族・歴史学院の杜建録(と・けんろく)院長は「学術研究の観点で見れば、西夏陵はかけがえのない価値を持つ。西夏時代の最も代表的な不動産文化財で、中国の歴史が実物として示されたものだ」と述べた。

 西夏の人々は、陵墓の選定や陵区の配置、埋葬習慣、建物の形状などについて、唐宋時代の帝陵に代表される中原王朝の農耕文化の陵寝制度を参考、吸収した上で融合と革新を進め、遊牧民族の文化的特色も併せ持つようになった。

地形に合わせて整備された西夏陵の治水施設。一部は現在も機能している。(10月22日撮影、銀川=新華社記者/馮開華)

 西夏陵博物館の師培軼(し・はいいつ)館長は「西夏陵の版築建築が草も生えず、鳥も降りないのは、当時の西夏の版築技術が比較的成熟し、突き固めた土に白石灰を加えていたからで、北方の雨の少なさも重なり、植物の成長の余地がなかったからだ」と指摘した。

 西夏陵では70年代から現在まで数回の考古学調査と発掘が行われ、皇帝陵や陪葬墓、北端の建築遺跡から多くの遺物が出土した。現在は展示・収蔵機関が各種文化財計7100点を保存するほか、遺跡にも大量の建築部材の残骸が残されている。

西夏陵出土の瑠璃釉の鴟吻(しふん=棟両端の装飾瓦)。(10月23日撮影、銀川=新華社記者/馮開華)

 師氏は、西夏陵からは硬貨や絹織物、ビーズや金銀の装飾品などの副葬品も出土していると紹介。「西夏は最盛期に(甘粛省北西部の)河西回廊を支配していた。中原の技術による精美な絹織物と西域の風格を兼ね備えた装飾品は、西夏がシルクロードの中継拠点だったことを裏付けている」と述べた。

西夏陵出土の瓦当(がとう、筒瓦の先端部分)と石碑の残骸。(10月10日撮影、銀川=新華社記者/馮開華)

 西夏陵は独特の価値が評価され、1988年に全国重点文物保護単位(国宝・重点文化財)に指定された。ここ数年は遺跡の保護と補強工事が絶え間なく続けられている。

成熟した技術と石灰が含まれたことにより草が生えない西夏時期の版築建築、3号陵の陵塔。(10月22日撮影、銀川=新華社記者/馮開華)

 師氏は「西夏陵は唯一無二の存在だ。より先進的な展示方法を多く用いて、遠方からの見学者に西夏陵の文化的価値をより効果的に示し、説明していきたい」と語った。

編集:董丽娜

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